第14回
弁護士 山田万里子
中区三の丸、裁判所の近くに一本の柳の木がある。恐ろしいほどの老木である。
樹木医さんが傷ついた幹や枝を直していたのを見てからは、その柳が気になって、裁判所への行きかえり、歩きの時は、時々立ち止まって眺めるようになった。
私が、裁判所の行きかえりに、必ず、その柳の前で立ち止まるようになったのは、樹木医も延命を諦めたのか全く手をかけず放置されてからのことだ。見捨てられてもう何年経つだろうか。
人間で言うなら、100歳くらいだろうか。
幹はぼろぼろで、わずかに一部の皮がつながっているだけである。
それでも、昨年の春も、命の水をわずかに吸い上げて若葉を付け、夏の暑さに枯れもせず、生き長らえた。
今年は、もう葉をつけるのは無理に違いないと私は思っていた。
今春、他の街路樹に若葉が出始め、私は、その場に近づくにつれ、見るのが恐い気がして、いつもうつむき加減に歩いた。
でも、ある日、弱々しいけれど小さな若葉が目に留まった。
そして、今、命の証の葉が風になびいている。
今年、私は、初めて、その木の前で合掌した。
人間は、自分で水を飲む力がなくなっても、無理やり「人口の管」を通して延命させられる。
木は、それまでは精一杯生きて、自分で水を吸い上げられなくなった時には潔く生きることをやめる。
そう考えると、手を合わせずにはいられない。
? 老い柳 命尊し 若葉かな
? 裁判所近くの街路樹の多くは、ケヤキ(欅)である。
枝先を箒のように空に向けて無限に広げる様は、生きることの素晴らしさを教えてくれているように思えてならない。
ケヤキ並木も、裁判所への行きかえり、私の心をいつも元気づけてくれる。
何年か前に気付いたことだが、ケヤキにも個性がある。
春一番に若葉を付ける木。秋一番に紅葉する木。遅い木はいつも遅いのだけれど、遅くても、元気いっぱい葉をつけるし、遅くても必ず紅葉する。
人と一緒で、みんな違う。違うけれどもみんな精一杯生きている。
そんなことを考えながら、重い事件記録の入ったカバンを持って、今日もケヤキを見上げる。
? 「素晴らしい偶然」
? 地球が生まれた
この広い宇宙に
この素晴らしい偶然
わたしがわたしとして生まれ
あなたがあなたとして生まれ
あなたとわたしが出会えた
この素晴らしい偶然
? みんな違う
違うみんながつながっている
いのち いのち いのち
この素晴らしい偶然